2008年12月5日金曜日

「関の山」の語源-関宿その1



関西本線亀山市関町に、東海道53次のひとつ「関宿」があります。
●近くに古代三関のひとつ「伊勢鈴鹿の関」があったこと
●旧東海道から伊勢路、大和路への分岐点だったこと
●東海道53次の各宿中、唯一往時の街並みが保存されていること、
で有名な宿です。

奈良での法事のついでに、すっかりローカル線化した関西本線を乗り継ぎました。かつて新幹線が開通するまでは、関西本線は奈良と名古屋以遠を結ぶ大動脈でした。今や新幹線と近鉄にすっかりお株を奪われて、2両編成のディーゼル車が1時間に1本走っている程度で、名古屋~奈良間の直通列車はありません。

2キロ近く残っている街道の街並みは、噂に違わぬものでした。ポツンポツンと古い建物があるのではなく、街全体が昔の面影を保っています。中には新しい家もあるのですが、周りの景観と調和をとるため、通りに面した外壁は、昔の仕様を使っています。博物館的になっているところは少なく、殆どのところは日常生活の場となっているところが驚きです。

「関の山」という言葉は、現代では「○○するのがせいぜい」というように、揶揄的なニュアンスが伴います。しかし、昔関宿には16基の山(山車)があって、それが勢揃いする様は、これ以上のものは考えられないほど豪華絢爛、という賞賛の意味で「関の山」といったそうです(尤も、この説には異論もあるようですね。) 今は山車が4基だけが残っているそうです。

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