2008年12月7日日曜日

堀部安兵衛の故郷-新潟県新発田①

新発田城の表門の真前に、「安兵衛茶屋」というのがあって、『よろっとよりなれ』の看板が出ています。”よろっと”は、「よろめくように?」「ぶらっと?」「ちょこっとお気軽に?」・・・言葉のニュアンスはよく分かりませんが、何となくおおどかな雰囲気がありますね。そして、この茶屋の前に、何故か唐突に堀部安兵衛(旧姓中山安兵衛)の銅像が建っています。

「ウム・・・?」と思って聞いてみたら、高田馬場の決闘で江戸中を沸かせたこの有名な剣豪は、初代新発田藩主、溝口秀勝の曾孫の一人だというのです。子供の頃から講談本、映画、芝居などで繰り返し親しんできた忠臣蔵のなかで、赤穂浅野家の家臣、堀部弥兵衛にかき口説かれて養子に入ったことは記憶にありましたが、その出自は全く知らず、迂闊にも、どこかの素浪人かと思っていました。

その彼の曽祖父が、1598年に加賀大聖寺から移封された後、上杉景勝に滅ぼされて落城した新発田家の城跡に新たに築城したのが、今日残る新発田城だそうです。溝口家の采配は270年に及びますが、現在目に見える形で残るか復元されているのは、掘割の一部、本丸表門(画像3)と三つの櫓です。表門から城内に入ると、本丸跡は自衛隊などの敷地になっていて、奥へ進むことができないのは、少し残念。その分、親切なボランティアガイドの方が、薀蓄を傾けてくれました。
 
本丸表門と旧二の丸隅櫓(画像4)は、共に国の重要文化財。辰巳櫓と三階櫓は、地元の大いなる努力で復元されたもので、掘割から眺めるこれらの風景はなかなか勇壮です。櫓の腰まわりに平らな瓦を貼り付けたなまこ壁も目を引きます。
 
天守閣の役目を果たしていたという三階櫓(画像5)は、T字型の屋根に3匹の鯱が配されていて、ちょっと珍しい。普通は雌雄の2匹の鯱ですよね? 
  
 

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