2008年12月7日日曜日

齢50にして一念発起-佐原行その4

実測による正確無比な日本地図を作り上げた伊能忠敬については、たいした予備知識もないまま佐原を訪れたのですが、あの偉業は、50の坂を越えた隠居後の一念発起だったのですね! 長年千葉に住みながら、不明の至りでした。

忠敬は、元は千葉県山武郡九十九里町の出自で、17歳の時に佐原伊能家に養子に入ったそうです。伊能家は、酒、醤油の醸造、貸金業等を手広く営んでいて、忠敬は商人として才覚をおおいに発揮し、かなりの財産を築いたといわれています。

そして、1794年に齢50で隠居、家督を長男に譲ったのち江戸に出て、幕府の天文方・高橋至時に師事し、測量・天文観測などをおさめたのが、壮大な事業の始まりとか。1800年56歳の時に、私財をつぎ込んで、第1次測量を開始。最初の測量は蝦夷地(現在の北海道)と北関東・東北地方で行われました。そして、忠敬の測量が極めて高度なものであったことから、その後幕府の支援が増強され、国家的事業に育っていったそうです。

人生50年といわれた時代に、楽隠居の身分に安住せず、死の直前まで日本全国を踏破した情熱は、いったい何に由来するものでしょうか? 商人としての現役時代から、暦法には並々ならぬ関心を抱いていたようですが、婿養子としての責任を果たした後は、自分のやりたいことに一直線に突き進んでいったのかもしれませんね。

 

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