2008年12月7日日曜日

「観る」より「演ずる」もの-佐渡⑤

私は佐渡で広く能楽が浸透していると聞いて、「ああ、世阿弥が配流されてた土地だもんね」と早とちりしていました。ところが、現地の人の話では、どうやらこれは見当違い。「時の室町幕府の冷たい仕打ちにあったのは、世阿弥が古希を過ぎてからのこととされているので、島人に能を広める気力があったとは思えないし、島人にもそれを受け入れる素地や余裕があったとは考えにくい」-言われてみれば、ごもっとも。

世阿弥の遠流から170年を経た徳川幕府の時代になって、金山に目をつけた家康が佐渡を直轄領にしてしまう、その初代佐渡奉行の大久保長安が、奈良春日神社の猿楽師一族の出自だったこともあり、猿楽師たちを佐渡に招き入れたのが、そもそもの始まりらしい。その伝統を汲んでか、佐渡の能舞台は、神社に帰属しているものが非常に多い。時代がさらに下り、武家中心の演能が庶民の間にも徐々に広まって、ふと口ずさむ鼻歌が謡曲だったりするまでに浸透していったそうです。

「佐渡では、子供の頃から、謡や仕舞を習うようですね」
「単に観るもの、というより、演ずるもの、という感覚は強いですね」
「ところで、佐渡をテーマにした能の演目って、何かありましたっけ?」
「残念ながら、古典にはないんです。でも、新しい創作能はありますよ」
世阿弥も、そこまでは手が廻らなかったらしい。

太鼓の場合、舞台で演ずる人は気持ち良さそうだけれど、飽きっぽい私なんかは、5分も観ているうちに、気もそぞろになってしまいます。しかし、昨年暮れに東京で観た、佐渡に本拠地を置く太鼓演奏集団「鼓童」の舞台は、かつて経験したことのないものでした。能、狂言、歌舞伎等の所作や様式も溶かし込んだ大変華のある演奏で、緩急自在、観るものを飽きさせません。さすが、世界に通用するプロ集団です。

でも、佐渡に行って、常に「鼓童」の演奏を観れるわけではありません。この一団は、一年の大半、外国や国内諸都市での演奏活動に飛び回っているようで、毎年夏に佐渡で行なわれる「アースセレブレーション」やそのプレイベントが絶好のチャンスです。太鼓打ちの体験施設もありますから、やってみたい方はどうぞ。
 

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